時の流れの中の日常で『4ヵ月』と言う月日の響だけが複雑です。
写真は先日みた夕陽です。
昨日の夕陽も
今日の夕陽もきれいだった。
夜に向かう夕陽って
とても好き。

最近
いろんな事があったと
書いてましたが
気付けは3.11.から4カ月になります。
いろんな事を感じ
振り替える時間も無く
この仕事を維持していくことに必死でした。
「愉快なガラスたち」と言う工房は
私の意志で
それまで勤めてた会社を辞め
借金までして
テナントを借り
商売として始めました。
そして
あっという間に14年が経ち
現在に至りますが
ようやっと
自分の中の一部になった気がします。
いえ、
後にも先にもこの仕事は
私の一部なのですが
望まずとも3.11.を経験し
これから先の
当工房の在り方
自分の在り方を考えさせられました。
以前、
何かの本で読んだ事がありました。
『そこは勝ち取った場所なのか?』
『勝ち取った場所』
と解釈すると
厳しい言葉になりますが
私は
『自分自身の強い意志によって選択した物』
と解釈しておりました。
そして
この言葉は私の中に強く残ってます。
それは私にとって
『愉快なガラスたち』を指すのだと
そう感じておりました。
しかしながら
望まずとも経験した3.11.をきっかけに
心の中で
たくさんの事が整理され
「愉快なガラスたち」は
『愉快なガラスたち』ではなく
自分にとっての一部として
頑なものとなりました。
『勝ち取った場所』
この大変な状況下の中で
衣食住からは遠く位置する
ステンドグラスの工房を
維持していく不安定さと言う
考えもしなかった事に直面し
『勝ち取った場所』ではなく
『手に入れただけの場所』だった事に気付き
それは
とてももろく
他愛もなく消えてなくなるほど
自己満足の世界なのだと
気付かされました。
それでも
そんな中でも
私にとって
私からは切り離せない
創作活動は
大切な私の一部なんだと
心に強く感じ
そして
自分にとっての
必要な物として
『愉快なガラスたち』という工房は
ようやく自立したのだと
感じずには居られませんでした。
正直なところ
それは
芸術活動や創作活動が
自分にとっての
大半を占める人間にとって
「たくさんの悲しみがあふれる中で
そんな事を言っていて…いいのだろうか?」
「自分は
他に何かをすべきなのではないのだろうか」
と
自分の衝動を理性が否定し
そんな事を考えるコト自体を
罪悪感に感じ
自責の念と
自己嫌悪を引き起こし
たくさん悩んだ時期もありました。
それでも
私にとって
創作と言う衝動は
絶える事も無く
ますます
その比率を上げ
創作と言う衝動が
静かに、
確かに
内在したのでした。
そして
『愉快なガラスたち』 は
そんな大変な状況下でも
周りの
たくさんの人たちから
愛され、必要とされ、
3.11.の二週間後には
生徒さん達からのご要望にこたえる形で
教室を一部再開し
今ではほとんど
通常に戻っておりました。
さらに嬉しい事に
新しい生徒さんが3名も加わり
ますます楽しくなっておりました。
とても
とても嬉しく思います。
これから
どんな状況下でも
きっと
『愉快なガラスたち』と
『富松久恵』は存在するんだと
それこそが本当に
『勝ち取った場所』
と言ってもいいのだろうと
思ってすぐ
『ちがうよ♪』と
脳内で声がし
『勝ち取った場所』という文字が
クルリと
『認めてもらい、居る事を許された場所なんだ』
という言葉に
変化いたしました。
私にとって
こうして
今まで
自分に問い返していた
『そこは勝ち取った場所なのか?』
と言う言葉は
『認めてもらい、居る事を許された場所なんだ』
という
『真意』に変化し
『そこは勝ち取った場所なのか?』
という【問い】は
これからこそが初めて
『許された場所』で
ようやく
色々な意味で
『自由』な創作活動が出来る
スタート地点に立てたんだと
宣誓にも似た
清々しい気持ちになったのでした。
そして
この気持ちを感じる事が出来た事の嬉しさを
全ての悲しみと
全ての喜びを深く心に刻んで
生きてる限り
創作活動を続けてゆこうと
この4カ月経つ11日の日に
静かに祈りを捧げるのでした。
笑顔のあふれた穏やかな生活が
一日も早く来ますように…
そして
突然この世界を
旅立たなければならなくなってしまった
たくさんの魂たちが
迷わずに
還る場所に還れますように…












