自分で考えて 自分の足で生きるために
先日
ふらっと立ち寄った本屋で
また「言葉」を拾った…
~自分で考えて 自分の足で生きるために~
私は
ふらりと「カルマ」の本を
読んでしまった。
カルマとは
「業」ともいわれ
ふらりと
読むような本ではなかった…
業は
その善悪に応じて果報を生じ、
死によっても失われず、
輪廻転生に伴って、
アートマンに
代々伝えられると考えられた。
※ウィキペディア抜粋
全文ご興味のある方は
こちらからウィキぺデアにどうぞ。
が、
私が
目にとめたんだから
現在の私に必要な事なのだろう
と
受け入れることにして
読んでみた。
まぁ、
私個人の項目を読むとはいっても
何やら
グループで括られる訳なので
お気楽に
見れたのではあったのですが…
『このグループに属する方は
前世では
戒律や規律に反する事を許されず
自分の意志を持って
考え、生きる事を
許されてなかった。
よって
生まれ変わった現在は
自由を愛する基に
生れてきたのだろう。
しかしながら
前世で虐げられた自分の経験は
今生で記憶は無いものの
時折顔を出し
癖となって現れるだろう。
故、今生では
戒律や規律に縛られる事無く
自分で考えて
自分の足で生きるために
自由に
自分の想いを表現して行く事が
業の解消となるだろう。』
まぁ、
こんなもんだけど………
本を丸暗記出来なかったから
私が解釈した感じでは
文章はよく解らないけど
まぁこんな感じ。
で、
何だか
理屈っぽいとか、
知識探求型と言うか
そんなのも、
そんな理由から
「癖」として出てくるらしい…
わらえる。
ちょっと前に私って
理屈先行だよな~とか
ルールとか好きだよな~って
思っててこれからは、
よし♪
自分の心で感じた事を
素直に実行して行こうと
腑に落ちたばっかりだった。
だから
わらえる。
それが業なら
そう簡単に直る癖ではないさね~。
だって
自分自身の中で
何かが変わらなければ
「癖」だとも気付かない。
それでも
現在はそれも
自分で気付いたので
腑に落ちてるので
解消されて事になるのだろうけど
これを
「解消」とか「浄化」とか
言うんだろうなぁ。
そして
今回この本は
私に起こるこれから必要な事を
導いた訳ではなく
私が過去に結論付けたことへの
『確認』だったんですね。
【納得】
で、
笑って終わってしまった。
そして、
納得したから
次の業がやってくるのだろうな。
きっと。
一体
幾つの業を持って生れてきたか
人生が終わるまで分からないけど
「自分は昔、こんなだったな~」
とか
「あんなだったよな~」とか
認められるようになっていくコトは
素敵な事なのかもしれない。
そして
腑に落ちた時点で
それが何だったかさえ忘れてゆく。
~自分で考えて 自分の足で生きるために~
これが
ちょっと前まで
簡単には出来なかった私。
その事がまるで、
『自分の考えで 人の事を考えて
自分から望んで 人の望む事をして生きる』としてるのように
すり替わっている事に
気付けなかった。
「人が望むから自分がその事を考える」
のと
「自分が望んで人の為になる事を考える」
では
微妙かもしれないけど
えらい違いなのだ。
自分の考えで
自分の足で立って
自分の為に生きて
初めて
人の為に動けるようになる。
自分の事を分かって
初めて
人の事を考えられるのだと。
そして
この震災で
いかに自分がちっぽけかを知り
それが
自分が自立してないからでは?
と感じ
ならば
心に忠実に
まずは自分の為に
精一杯生きようか。
そして改めて、
当工房を必要として下さる皆様に
喜んでもらえる仕事をしたいと
そんな風に思って
また次に進むのでした。
これができると
「自立した」と言う事なのではないだろうか?
などと
ぼんやりと思ったりしながら
自分で考えて
自分の足で生きるために
より一層
精進していこう。
そんな風に思う
今日この頃でした。












