「好き」というシンプル。
「趣味は仕事にしない方がいい。」
これは18才くらいの時に
友達同士で語り合ったコト。
就職を前にして
どこに就職するか
どんな職種に着くのか
自分の好きな物の世界へ就職してみるか
まぁ、若者の
そんなことからの話。
当時の結論からして
「趣味は自分の楽しみだから
仕事にして忙しさが募るほど
大変になって
好きだったはずの物自体が嫌いになるから
仕事にしない方がいい。」
「趣味は大好きだから
業界に入って、裏事情を知ってしまって
ガッカリするよりは
知らない方がいい事もある」
そんな感じだった。
好きな物も一度、嫌いになるらしい。
(当時の結論)
そして、現在
趣味を仕事にした私。
趣味で習って8年の間
大好きなことだけを気ままにやっていた。
そして
楽しさのあまり
それを仕事にしたけれど
嫌いになったことはない。
ステンドを嫌いになることも
商売をすることも
物を作ることも
何一つ
嫌いにはならなかった。
もちろん、きれいごとではなく
商売は大変だから
つらい事だって、
あまりのショックに
おかしくなりそうなことだってあった。
でもそれは、
商売だけのコトじゃない。
どんな仕事でも
そりゃ
いろんなことがあるよ。
でも、私にとって
「好きなことが嫌いになる。」
と言うコトは別だった。
いろんな経験をして
いろんなことを感じて
「好き」なだけのコトが
こんがらがって
何が何だか分からなくなっても
大変だって
裏事情を知ることになったって
結局
「好き」なのである。
こんがらがせてるのは
自分だ。
ほどいてみれば何も変わらない。
「好き」のなのである。
「嫌イヤ」になった事はある。
自分の手が全く動かなくなったとき
自分が物を作っていけないのでは無いかと
不安だった時。
ものすごい不安だったし
困った。
作れない自分が、環境が
嫌イヤになった。
でもそれは
「嫌い」になったのではない。
「好き」だから
出来ない状態にいる自分が
嫌イヤになった。
「好きなことを仕事にする」ことは
18才の頃考えていたより悪くない。
好きなことだからこその楽しみがある。
だからこそ、
元気になるし、頑張れる。
だからこそ
伝える何かがあるし
感じてもらえる何かがある。
今まで生きてきた中で
何一つ欠けても
今の自分は無く
不器用でとんがっていた昔の自分さえ
可愛く、いとおしく思える。
あの頃の不器用さがあるからこそ
今の作品の骨格になる。
「好き」なこと一つで
こんなにたくさんのことを感じることができるなんて
なんて素敵なんだろう。
「好き」なことは
いろいろあっても「好き」なのだ。
「好き」は「好き」
シンプルだ。












