芸術とステンドグラスと。

富松久恵の世界 

松島出展作品
~水を司る者~
2008年作

芸術を創る私の手は
こういうものを産み出します。

これを芸術と呼んでいいのか

未だに不明な点ですが
そういうコトに私がしております。


立体造形としては
まだまだ未熟だと自覚があるし

だからこそ、発展の余地があり
可能性が秘めているのでしょう。

自分の作品ですが
基本、自画自賛です。


この段階の私の
持てるすべてです。

だから、未熟でも何でもいい。

生き様などと
大きく、くくると笑われるますが
それでも、
成長の過程だと思って下さい。




芸術家と名乗る大先輩たちが
「一生完璧なものを創れない」とおっしゃる意味が

成長の過程だと認識があればこその話
満足したらそこで終わりである。

そこを指している意味が
少しだけ
わかった気がしています。



「ステンド」というくくりは

芸術というくくりよりは
「西洋から入ってきた文化」であり
日本でいう
「工芸」に一番近いのではないかと
最近感じていますが

やはり「ステンド」という
ガラス工芸とはまた別な
独自のジャンルがあると感じています。



以前、自分の作品を
「ステンド」のジャンルに含めることに
自分自身疑問があったから
考えた末

おこがましいが
「芸術」という名のくくりに入れただけのコト。

私の「表現」を
ステンドの技法を使って
表現をしてもいいのではないかと
そんな風に思ったりしました。


素晴らしいステンドを創る先生方は
世の中にたくさんいらっしゃいます。



だからこそ、

その中で私は、
私にしかできない
表現をしてもいいのではないかと
そんな風に思いました。

それが、

パネルであれ
立体であれ
ランプであれ。



根本は
自分が一番気に入るかどうかで
他人がどう思おうと、いい。

そのくらい気に入ったものは
そんなにたくさん出来ないものだが

それでいい。

自分で気に入って
自分の飾りたい場所に飾る。

それが、一番。




そう思いませんか?



私の基本は
自然の中か床の間。

現在松島で展示されている

「水を司る者」は、朝靄の立ち込める草原の真ん中
「水のあとに」は、日本庭園の中
「原点回帰」は、海辺の砂浜の中

でなければ、床の間。


上からスポットライトを当てて

うん。
そんなもんだ。



ステンドも
自分が欲しいものを作ればいいと思います。

だからこそ、うちの教室
生徒さんが創るモノを決めるとき
何が欲しいか
たくさん話します。

創りたいというものが
何であれ、
まず創る方向で一緒に考えます。


私と同じものを作る必要はなく、
世にあるステンドと同じものを作る必要もない。

世界でただ一つの
あなたの部屋に飾る物は

あなたの欲しいものを
あなたの手で
あなたの生活に合わせて作ればいい

と、思うのです。


欲しいものが手に入る喜び
創りたかったものが完成する喜び
上手になることへの喜び
そして、感情を具現化する喜び

さらには、
まわりの人に感動してもらえる喜び


それが、
自身の生活を潤し
未来を見る勇気になり

そんな些細なことが
大きな喜びになる
と考えるからなのです。



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