産み出すまでの苦悩と産み出したあとの喜び
雪月花 ~冬~
雪が舞い散る 空の日も
真夜中に咲く月の夜も
いつの日も あなたを想い
花の香りのする風を感じて
今日も また
私が創る物には
通常、オブジェというスタイルで
抽象を扱う作品が多い。
今回、代表作として
松島に持っていった作品もそうだ。
しかし
それとば、別に
「雪月花」を創る手も持っている。
そして、今回
新作 「雪月花~春~」を創って感じたのは
この「手」は私の意思で
『静なる愛』を紡ぐんだ
というコト。
そして定期的に
作品として創っている
オブジェは
『動なる力』が私の意思を無視して
あふれ出るんだ
と。
改めて、
分離確立した二つの感情。
ジャンルを超えて
物を創ってる知人たちと
時折話す
「創りたいもの」と「仕事」の狭間で
苦悩する『表現』という概念と
自分の感情を平静で保つための
コントロール。
「そんなコト、仕事なんだから
割り切ってやらなきゃ」
と言う声も当たり前に聞くが
私の周りで知る限り
相当無理して、
これをコントロールしてるように感じ
自分の理想が高くなれば
許せない範囲を広げ
結果、苦悩のあまり
体を壊していく…
そのコントロールが簡単ではないから
苦悩する訳である。
「創る」という行為には
ものすごく細分化された「作る」という
タイプがある。
その中で
自分の身の置き場所を選ぶということに
気づくまで
いろんなことを試しながら
たくさん作り続けるのは
ひとつの解決法になるが
体力的にも精神的にも
もちろん、それに伴う時間ロスも
ものすごく膨大に必要とする。
私は
ステンドで作れるモノの限りを
模索した結果
オリジナリティーがなんだか
わからなくなるほど創ってきた。
世に出せずに崩れ落ち
この技法は私の表現にとっては
強度が伴わないんだと
経験だけを残したモノも山ほどある。
ひとつの手から産み出される
自分の中の二つの感情が
どうしても同じものとは思えず
その振れ幅の大きさに
長いこと
感情のコントロールに苦しんだ。
物を「創る」人間には
この種の苦悩は
そんなに珍しいことではないから
私ひとりの
感情でも何でもないコトだろう。
どんなに、
カッコよく外に向かってる人間でも
大なり小なり
似たようなコトを
経験してるだろう。
既に人生の半分を一緒に
ステンドと過ごし
段階を経て
苦悩の種類も変わり
「雪月花~春~」を創り終えて
ようやっと自分の中に
『静なる愛』と『動なる力』の
二つの手が内在するコトに気付いた。
オリジナリティーが
ひとつとは限らない。
ようやっと、すっきりとした。
どっちも自分だと
認められたことが
今後の作品の幅を広げることだろう。
そして
次の構想が浮かぶのだ。
もちろん
ステンドを創るのに
私のようなこんな哲学が
必ずしも必要かと言うと
まったくもって そうではないコトは
いうまでもない。
性分である(笑)












