生徒だった頃
そんな私にも生徒だった時があった。
今から20年前の事。
今思えば生意気な生徒だったと思う。
師匠は最近になって
そんな私を
「最初っから自分のセンスが
一番だと思ってるような子だった」
と言って笑ってくれる。
あはははっ… ごめんなさい。
今思うと
とんでもない跳ねっ返りだと思う。
自分が先生の立場に立ってから
尚更、自分が当時
かなり癖があったんだろうな
と
自分のことながら可笑しくなった。
その頃、私は
ある程度「器用」だという自負があった。
「井の中の蛙」とも言う。
ちょっとした手作りのものは
一通りたしなんで
ちょっとすれば
大体人並みには出来るようになる。
「自信過剰」とも言う。
そうすると
それ以上に「やる気」が
なくなるのである。
まさしく
器用貧乏を絵にかいたような人間だ(笑)
と、いうのは
ソレでプロになれる訳でもないんだから
はなから
「ちょっとだけ」でいいのである。
ちょっと、友達に
プレゼントできればいいレベルまで
作れるようになれば
それで満足するのだ。
そして、
あとは興味がなくなるのである。
本来、
熱しやすくて冷めやすいのである。
そんな私が
ステンドに出会うまでの間に
「〇〇になりたい」って言って
それを叶える方向で
話を聞いてくれた大人は記憶にない。
「くだらない夢を見て何が悪い?」と
今になっても思うのは
きっと
この頃の大人に対しての
反骨精神なんだろうか。
「現実を見なさい」と言う一言で
話を終わりにしてしまう
そんな「大人な大人」には
なりたくないと思ってしまう。
いいか悪いかは置いておいて
現実は確実にある。
40過ぎて自分だって
充分大人になったんだから
それはわかる。
いや?
大人になりきれてないのかも知れない。
ただ、
初めて真剣に夢や進路を語る子供だった私は
大人が思うより真剣だし
純粋に話す。
だからこそ現実は知らない。
インターネットどころか
ポケベルもまだない時代
知ってたらある意味怖い。
もちろん
時代が悪かったなんて思って無い。
そんな時代を生きててよかったとさえ思う。
激動のここ30年位だろうか
時代の変化を見てこれてよかった。
そんな自分の想いは
自分でだって
もしかして叶わない?
夢のまた夢?
と思ったりしてるから
恥ずかしくて言いたくない。
でも言う事が
必要とされるから言ってみる。
この時点で
結構無理してる。
なのに、鼻で笑われ
笑った方は笑ってないのかもしれない。
でも、そんな風に映る。
突然、現実を突きつけられて
話は終わる。
どうして
叶える方向での問いかけを
してみようとはならないのだろうか?
どうして
分ってくれる人間を
探してから話さなかったんだろうか?
と、
現在の私は思ってしまう。
問題は全て自分に在ったと
今は思える分
ちょっとは成長しているのだろし
確かに「大人」になっているのだろう。
夢を語ることを呆れるのではなく
それを叶えるにいたって
本人に
現実事情を並べたうえで
本人の判断で
無理だと
あきらめればいいと
思ったりする。
現実、無理なことは
やっぱり無理だし、
やめておいた方がいい事は
やっぱり
やめておいた方がいいのである。
問題は
話打ち切りで消化不十分だと
ソレは後まで引きずる。
これはきっと何でも同じ。
だから、この時点で
なんで無理なのかに納得できれば
ここで消化して
小さな心も晴れて解決な訳である。
そして、
ソレを頑張って話した人間への
真っ向否定は
その後
やる気のない人間を、
ここに一人つくった。
そんな風に思って
若い時代の時間を
無駄に過ごしていたから
夢なんか抱えても
叶う世の中ではないと思ってたし
たとえ叶うとしても
それは用意された環境の整った人間だけ
だと思っていた。
一般的には
生きていくためにみんなが
多少の我慢の上に
生活が成り立つものだと
そんな風に大人になっていくものだと
今の時代は
考えられない事かもしれないけれど
当時の私は
女は仕事も
やりがいを期待することは認められず
学ぶことを不要とし
結果的に早々に結婚退職を迫られ
適当な年齢で
そこそこ安定した収入の男と結婚して
そして、
その男の嫌なところを見つけては
少しづつ嫌いになりながらも
生きていくのに不自由しなければ
まぁいいかと、死んで行くのが
妥当な人生だと
とんでもないことを
冷静に考えていた………
あぁ…なんて悲しいの、私。
夢も希望もない
青春を送ってたような気がしてくる…
今の私からは
考えられないわ(笑)
どんなにこの世の中
不況と言われても
今の世の中は
夢であふれている♪
現在の私には
心からそう思える。
人はどんなに小さくても
夢や希望を持っていいと思うし
小さな事に楽しみを持ってこそ
新しい未来が来ると思うし
そこに幸せがやってくる。
こんな
心の荒んだ若い頃を
送っておいてるからこそ
今
夢を語るし
「気持だよ気持ち」と
自らの経験をもとに
強く思わずにはいられないのである。
そして、
そんな悲しい私の生活は
ステンドグラスを始める事で一変した。












