ラーハウザー記念礼拝堂2
身体が震えずにはいられなかった。
礼拝前の誰もいないその礼拝堂で
案内してくれた担当の方に
「一人でこの空間にしばらく居てみたい」と
無理なお願いをしてみたところ
快く受け入れてもらい
私はしばし、その空間に身を置いた。
戦火を逃れた「ステンドグラス」
それは
戦時中は
ステンドグラスをベニヤ板で覆い
日章旗を掲げていた。
仙台も激しい空襲に見舞われ
学院のほとんどが焼失したが
礼拝堂は無事だったという。
その後の大地震でもグラスは
ひび一つはいることなく
今も採光と照明で光り輝いている。
(頂いた資料「秘蔵の一品」から一部抜粋)
イギリス製のこのステンドグラスは
キリストの昇天図で
11人の使徒に祝福を与え
山の頂上から天に上げられ、天使が出現した場面を
現わしてるのだそうだ。
一人になった事を確認して
私は心を解放した。
そして涙が止まるまで 泣いた。
別に辛い事があったわけではない。
もちろん、目にゴミが入った訳でもない。
ただただ
感情があふれてくるのである。
とても、担当の人の前では
泣けないのである。
「戦火を逃れたステンドグラス」
私にとって
ここに大きな意味があった。
当たり前だが
私は戦争を知らない世代である。
今は亡き、おじいちゃんの
「とうもろこしご飯」とか
「じゃがいもご飯」の話をまだ幼い頃に聞いただけである。
もちろん、それらはお米の入ったものではなく
とうもろこしの粒や
じゃがいもが細かくきざまれた物が
お米に見立ててお椀に入っていたのだそうだ。
そして、それは当時
とてつもないごちそうだったそうだ。
話はそれたが
この礼拝堂のステンドグラスは
壮絶な時代を
その時代に立ち
見届けているのである。
語らずして
訴えかけてくるものがある。
そう感じるのは
礼拝堂と言う場所柄か
私の年齢のせいか、はたまた気のせいか
そこは定かではない。
ただ「涙」となってあふれるのである。
ステンドグラスは
もともと宗教色が強いものだから
いつかは宗教学を学ぶ機会も出てくるだろうと思いながら
ステンドグラスを作っている。
私が作るものは
どちらかと言うとオブジェ的要素が強いので
宗教とは無縁であり
絵付けなどの具象画も施してはいない。
しかし
どうしたものだろうか
ステンドを始めた時には
「教会のステンド」はすべてが同じ物に見え
まるで興味がなかった私が
ステンドにのめり込めばのめり込むほど
「教会のステンド」を知らずしては
ステンドの奥深いところには
たどり着けないと『思ってしまった』のである。












