『送る人』
その自覚は子供の頃から。初めて経験したのは幼稚園だった。
中学生の時も友人を送る。
高校生でも送る。
天高く昇るのを送る。
大切な何かを送り
喪失感から何かを感じ取る。
社会に出てからも送る。
すぐに黒に身を埋める。
そしてそれが『一般的』なものだと信じて疑わなかった。
何度その場に立っても
いつまでも慣れる事はない。
地上のしきたりに慣れることも無く
何度も一から確認する自分に
少しは学習しないものかと落胆する。
送ることは桜色でも送る。
両手を開き
空に羽ばたく姿も送る。
形は様々、大なり小なり。
だからこそ
この地に固定され
いつでもここに居る。
行くことも帰ることも
逝くことも戻ることも。
だからこそ
長い間に自分は送られることなく
送り出すものだと
ずっと思っていた。
はずだった。
だからこそ送り出す準備はあるが
自分が送られるイメージは無い。
始めて見た『送られる』映像。
そしてその一瞬に
感謝の礼を
決して
その未来永劫を縛るものでは無いものを選びだし
愛を伝えることの難しさに涙する。
縛るのは呪にとって代わる。
言葉の持つ意味の範囲の狭さと
このすべてにあふれる愛と感謝を
言葉に載せることの難しさと
伝え切れぬもどかしさを
その終わりの淵で経験して
現実で涙した。
それまで無かった映像が流れ込む事は
間違いなくエネルギーが変わっている。
パワーバランスも変わってきたのだろう。
未来の変わった瞬間。
分岐。
これで初めて零になる。
どちらでも
戸惑うことなくとなく容れられる様
未来の果てでまた会う日まで。












