歯車の組み換え22

歯車の組み換え・序章(1~13)
歯車の組み換え・発想の真(14~21)現在連載中

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「思っていることが本当に現実化するのでは?」

そう
「ひらめいた☆」のだ。


たくさんの思考の末
折角ひらめいたそれすらも
「でも…」と
打ち消してしまう。

そしてこれが

「私の癖」だと気付いてしまった。
いや、認めたとでも言うべきか。


ここに
気づけたのは大きい(笑)






深層心理と
世間体とでも言おうか

主観と
客観とでも言おうか

自分の心に忠実になるには
素直になることが一番早い事は分かっていても
思いのほか素直になれない。


頭や理屈でわかることと
自分が受け入れて実行できる事とは
また別の事だし
この意識の移行作業が難しい…



そう!「難しい」
いや、
『難しくしてる』のだ。


実際は
頭や理屈では理解したのだから
実行に移すまで
もう一歩なのだ♪ 


そして
納得して腑に落ちるまで
何度も何度も思考することになるのだ。


落ちるまで?と言うか
先に進むために
「落とし所を早く探す」とでも言おうか
中途半端なもやもや加減が
もどかしいのだ。





さて、


人間には心の窓がある。

「ジョハリの4つの窓」

名前は覚えていなくても
内容は聞いたことがある方も
多いのではないだろうか
心理学ではあまりにも有名なお話し。


「自分も他人も知ってる公の自分」
「自分しか知らない自分」
「他人が知っていて自分で気付かない自分」
「誰も知らない自分」

である。

で、自分は
「自分の知ってる自分」と
「自分だけが知っている自分」
で日常を送ってる事が
多い訳だが

ここで

「他人が知っていて自分で気付かない自分」に出会う。

友達が
「あなたは○○なとこが素敵よね~」とか
ほめてくれたりする。

この時
素直に受け止められると
自分の窓が広がり
成長につながると言われている。



ところがだ、


「自分の知ってる自分」
または
「自分だけが知っている自分」の中に

『私の○○なところは欠点だわ…』と
既に在ったとする。

すると

ほめてもらったはずの事が
自分の嫌なところを指摘されたようで
ものすごく落ち込んでしまう

と言う結果となってしまうのだ。

「いいわよ~、そんなに無理してほめなくて」
「それ?嫌味?」


みたいに?



そこで、

試しに
人の話を素直に聞いてみよう。


「あなたは○○なとこが素敵よね~♪」

そう言ってくれた友達の言葉に
他意はあるだろうか?


「自分の知ってる自分」と
「自分だけが知っている自分」の中に

『私の○○なところは欠点だわ…』と在ったとしても
この場合
一度、受け入れてみる事も
できるのである。

「○○は私の欠点だと思っていたけど
それは
友達やまわりの人にとっては
私の『素敵なところ』として写ってるの?」


それでいいのだ。♪

たとえば
『○○が私の素敵ところって友達は思ってくれているんだ』
と、
自分で受け入れられた
としよう。

自分に出来る範囲で大丈夫なので
少しずつ外に出して行ってみよう。


それが不安なら
自分の心の許せる人から
少しずつ始めてみよう。

すると

今度は
「誰も知らない自分」
の存在に気づく。

あれ?
『私って案外◇◇なところもあるのかしら…?』


そして
またそれを自分で受け入れ
認められれば

結果


「自分も他人も知ってる公の自分」
が増えるのである。



素敵でしょ?





ところが私、現在思うと

大昔の私は

「自分も他人も知ってる公の自分」
「自分しか知らない自分」

が、ものすごく狭く
自己否定的で

「他人が知っていて自分で気付かない自分」
に出会ってみても

それを素直に受け入れられないと言う
そんな状態にいた。


もちろん、
それにはちゃんと理由がある。




それは、私の「価値観」だ。


今まで社会生活を生きる中で
私の「良し」と他人の「良し」が
一致しないケースが
多かったからだ。


私は、ものすごく『普通の人間』だと思って生きてきた。

ところが普通じゃないらしい(笑)
もちろん、今ならそれも分かる。

普通に考えて普通の人は
「芸術家」を仕事にしようとは
まぁ、思わないだろう。


でも、そんな事じゃなく、
もっと、小さな事だ。


例えば

「私が眩しいから
きっと私の周りの人も
まぶしいだろうからカーテンを閉める」
というのが
「閉めたら暗いでしょ?」と思う他人もいる。

「花瓶のお水がぬるくなっていた事に気付いたから
水を入れ替えましょう」と思ってみても
「なにも今じゃなくてもいいでしょう?」という他人もいる。

私の場合

「え?前が見えないほど眩しく感じるのに
まわりの人は眩しくないの?」
とか
「え?今、お水を変えなかったら
折角のお花が間違いなく枯れるでしょ?」とか


と、まぁ

そんな些細なことが
長い年月をかけて山ほど積み重なって
自分の思う通りの行動は
世の中の人とは違うんだと
そういう認識になり

かといって
それを説明する勇気もなく

結果、
世の中を渡っていくために

「自分も他人も知ってる公の自分」を狭め
「自分しか知らない自分」を広げ

社会との感情の交わりを
減らしていったのだ。


これは
もう、大昔の話。




今思えば若かった私には
周りへの配慮が
足りなかったんだろうと思えるようになった。


自分の思ったことがすべてではないし
一人で生きてる訳でもない。

自分の「良し」が他人の「良し」とならない場合もある。
そういう事を
たくさん経験して
自分の価値観が確立されていくのであろう。

そして

私の場合
確立をする方向ではなく
自分を閉ざして
まわりと同じ基準で立ち回ることにして
自分の価値基準に目をつぶったのだ。




そして

それからは

自分の価値基準が
『それでいいの?』とか
『それ、本当にやりたいの?』とか
そんな事を言い出しても
それを「でも…」と打ち消して

長い間
世間と上手くやってきたのだ。


つまり私の場合
この時点で
『私の「ひらめいた☆」の精度が悪い。』と
結論付けたのだ。


ところが
後から気付くことになるのだが

これは
実は間違っている。

この場合本来
皆の価値観と合わないからと言って
私の直感の「精度が悪い」
となる訳ではないのだ。

つまり

この場合
「精度が悪い」かどうかは別にして

結論は
『私の直感は、周りのみんなとはちょっと(かなり?(笑)基準が違う』

本来なるべきだったのだ。

この辺の話はまたこんど。





そして


「ひらめいた☆」
その度 
『でも…』と、否定しながら、

「自分がひらめいたことと逆の事をやっておけば
まぁ、間違いないだろう」 と思いながら。


これが

元々自分にはなかったもので
そうしてやってくるのが一番楽だと
その時点で判断して
覚えた手法だと
そのこと自体を忘れるほど長い事

魔法が解けるまでの間
自分の直感は精度が悪いと信じ
つまりは
自分を否定し
『普通の自分を演出』して来たのだ。


以前『解けた魔法の話』を書いたことがある。
ご興味のある方は
↓↓↓


「落ち着いた」心の中の風景 6
「落ち着いた」心の中の風景 7



そして

「ひらめいた☆」のだ。



長い年月を経て
手法だった「自己否定の『でも』」のはずが
「癖」となってしまっていた事を。


いや、

認めたとでも言うべきか。


これは「癖」だったのだ。












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