時代を超え、形を変えて受け継がれしもの。5

建物は
人とともに時間を重ね
人は
建物の中に想いを刻み
その想いは
時間を越え
いく世代も受け継がれしもの。

このパネルの話が進むにつれ

いろんな事や想いが私の中で重なって
私の中へ問いかけを始めた。

私が子供で
まだ、おじいちゃんが生きてた頃
私の実家は
平屋の一軒家だった。

宮城県沖地震を耐えたその建物は
老朽と生活環境の変化などの
様々な理由から
新築の運びとなった。

新しい実家は
2階建ての洋室の子供部屋も備えた
階段のあるお家だった。

家族も大満足で
自分たちの新しい生活の場に
いろんな
新しい楽しみを語り合っていた。

ところがだ、

いざ、前の家を解体することになった時
子供ながらに
崩して二度と入れなくなる家に
どうしてもお別れが言いたくなって

家の中に入り一部屋一部屋、
お別れの挨拶と
感謝の言葉を言って回った後

解体して崩れて塵やほこりが舞い
瞬く間に無くなる家を見ながら
泣いたことを覚えている。

それが…

新しい家の完成に、
はしゃいでいたのは
多分他ならない、私だったにも関わらずだ。

号泣だった。

私自身がこういう
「物質」との別れはこと弱い事を知る
切っ掛けとなった
昔の家の解体の話である。

その後、実家を出て
一人暮らしを始めてすぐの頃には

深夜、目を覚ますと
そこには
現在自分の暮らしてるアパートではなく
自分が部屋をもっらた新しい家ではもなく
その前に解体した
古い家の天井が広がっていることが少なくなくって

「私って今、アパートに住んでなかったっけか?
この天井って昔の家の天井だよなぁ?」

などと思いながら寝ぼけ眼をこすり
目が覚め意識が戻ると
ちゃんと
自分がアパートにいるコトに気付く。

そのくらい
住んでいた家の解体ということが
子供心に
ショックだったのかも
と、

あまり、この夢を見なくなった
最近は思う。

そして

その後、私は何度か
大切にしていた物との別れに
感極まり
泣くことを何度か経験した。

こんな自分は
おかしいのでは?と思ったこともあった。

何かの機会に

「物」には大切にされたほど
物質側に「感謝の想いが宿る」

と聞いてちょっと納得した。

そして

物質的なものだから
物自体に「感謝」などという
感情があるわけもないと
もちろん、
そんなことは自覚してるが

その物が作られるまでのその過程で
たくさんの人たちが
いろんな想いで仕事をしてということが
「雰囲気」として物を通して伝わり

その想いに対しての
使う側の感謝が
鏡のように映して
さも、物が感謝してるような気がするのだろうと

この仕事を始めてから思った。

「作る」という仕事は何の職種にしても
素敵な仕事だと思うし

今、この仕事ができてて嬉しい
と、心から思う。

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