「物を創りだす手」と「創る環境を提供する手」と 1
物を作り出す人間には
いろんな種類があると思う。
最近、そう感じる機会に
よく出くわすようになった。
話をしていても
テレビを見ていても
ネットを見ていても
ラジオを聴いていても
なんらかなタイミングで
私の耳に入ってくる。
「物を作りだすという事は
『美しいこと』は絶対必至である」
ん?「責任である」だったかな?
まぁ、
そんな事を
この商売を始めた頃
雑誌か何かで読んだことがあった。
その頃私と言えば
自分の欲しいものをたくさん集めたり
作ったりして
商売をしていた。
まぁ、当時
あまり売行きは芳しくなかったから
お客様のご希望に沿う形をとって
若干の軌道を修正した。
ところが
面白いもので
売れてなくても、
前の形態で仕事をしてた時の方が私にとっては
幸せだと感じるのである。
そして
お客様も「前の方がよかった」と言う。
なら、なぜ売れない?
これは、長い間私を
経営と言う枠と制作と言う枠のはざまで
苦しめた。
勝手な事を言うもんだ。
なら、どうすればいい?
当時はそう思ったが
実は違っていた。
お客様がなんとなく発した
「前の方がよかった」と言う言葉は
きっと
商品として見ていなかったのだ。
いや、
それでは
商売は挙がったりだ(笑)
違っていたのは
「出し方」だ。
お客様の必要なものを
必要な形で出して行ける事が
何より理想的たど思われる。
私の中にあるものは
「カッコイイ物」 という美しさ
そして
「人の想いの表現」と言う
時には美しく、時には醜い。
これらは
見ていただいて「何か」を感じてもらう物で
「買っていただく」には無理がかかる。
そうわかったのは
2008年の個展の後。
むちゃくちゃな私の「表現」は
ステンドだろうか?
と疑問を持たれる方も多いい。
でも、それでいい。
そんな
「むちゃくちゃなステンド」が私の個性だ。
見ていただいて
「何か」を感じていただくには
『作品規模』がいい。
物を創るという事は
きっと、どこにも正解など無い。
その人の決めたことが
進む道でいいのだろう。
商売と芸術の中で
長い間私を苦しめたそれは
出したいものと
望まれてるものと
出し方の上に
合う方向性があるらしい。
それがようやっと見えてきたので
私の仕事はようやっと
これから始まるのだろう。












