「落ち着いた」心の中の風景 8

補強して固めた心の
全てを受け入れるため行った
心の解体作業は、自分が思うほど
スムーズにいかなかった。

当然だ。
生きてる年数が増えれば
「くせ」はそう簡単に抜けるもんじゃない。

まして
がっちりかけた暗示など
そう簡単に外せない。
あっちこっちに鍵まで掛けてある。




「個展」と一括りでくくっても
いろんな種類の個展があると思うのだが
私はテーマを立てたかった。

折角、見ていただく機会だから
『私の全部を見ていただこう!』

そう思ってるのに
ソレがどこだか自分で解らない事に気づいた。

テーマとして具体的に絞りたかったのに
「私の全部」がどこなのか、何なのか、
「誰に何を伝えたいのか」
「何で私が物を創ってるのか」

考えれば考え程、悩んだ。

ここが決まらないと
会場に持ち込む物が決まらない。

結果的に2008年の春に
創れなくなった精神的理由。

そして、こういう時はなぜかというか、
見事にというか、公私共々次々に何かが起こる。
何と言うか…こういう時は
肉体的にやられる方が耐えられるもんで
精神的な打撃を受けると辛い…
それも、悩んで
答えを出さなければいけない
タイムリミットは各所で急かされる。



それでも個展はやってくる。


「あたしってなんだ?」




「決まり」なんてないんだけど
「公式」を探す頭が混乱する。

公式を探すコトがすでに違う事に気づくのはもっとあと。

「型」にはめたがる事が
また、自分を悩ます原因になっていくことに
気づきもせずにどんどん下降…

こんな状態で何かを発信しても
受け取ってもらえる訳もなく
この精神状態を何とかしなければ…




それからは


「〇〇 が嫌」…なんで?
「△△だから」…どうして△△なの?
「◇◇だから」…どうしたらいい?



自問自答を繰り返し
最後にたどりつく「心」まで
何度も何度も…

こんがらがった毛糸を解くように
一本づつ、こっちをほどいてはそっちもほどく。
そしてゆるんだところで、こっちを再度ほどく。
といった感じの作業だった。


いろいろな角度から自分を問いただして
自分の中で問題になってくるものが
浮き上がってくる。

これが、
思わぬ本音にたどりつき
びっくりする。

いかに本音を正当化させて世の中で
体裁よくやってたか
という事に気付かされて落ち込んだ。

笑える。

結局出てきた
子供のようなわがままな自分の
心にびっくりした。

良くわからない自分のこだわりは
バラしたあとに気づく、こういう経路をたどって
もっともらしく装飾した「モノ」になっていた。

この装飾した「モノ」へのこだわりは
改めて見た時に

その装飾自体、間違ってない?

こんな風に飾った方が
ストレスなかったかも?って思えたり

「心」をばらしてる最中
終始そんな感じ。

でも、
その時点で「装飾し間違った」ことは
自分で責めてしまわないように
やさしく、やさしく♪

だって、その時の自分には
それが精一杯の選択だったんだから
「頑張ってたね~」と褒めてあげたいくらいだ。

そして、今の自分に
その時の「選択肢以外の選択」が
できるようになったという事が
成長の証しだと
今の自分も褒めてあげたい(笑)


バラした後で気づいたけど
装飾したものを見て
もともとが「何」を装飾したか
思い出せないほど装飾したモノは

結局
モノの本質を見失い
思わぬ方向へ装飾されていき
「心」が悲鳴を上げる結果となっていた。

意外と
「心」ってシンプルなのかもしれない。

デリケートな部分だから
周りとの日々のやり取りの中で
傷つかないように
装飾して隠した部分なんだな~。

そこに気づくと
あちこちの問題が急に解決して
自分の「心」に対してまっすぐに向きあえるから
やることもシンプルになる。

あくまで「装飾」なんだから
本質のバージョンアップで在りたいものだ。


そして、この段階では
まだ、森は森のままで
それでも「個展」を掲げる事で
強制的に他の木を見ないようにすることが
出来るようになった。

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