現在を生きているのに「未来」を生きていた。2
将来や未来を「見て」生きる事と
未来に『囚われて』生きる事は
全く違っていた。

「『将来なりたいもの』はなんですか?」
そう問われて
即答できる人は
きっと少ないのでは?
と思う。
では
「『将来なりたい職業』はなんですか?」
と
問われたらどうだろうか?
先程より
答えやすいのでは?
まぁ、
このどちらの問いも
きっと同じ事をさすのではないかと
思ったりしているが
言葉とは
実にあいまいだ。
子供の頃
進路相談の時期になると
苦労した。
「『将来なりたいもの=職業』はなんですか?」
と問われて
答えられなかったからだ。
なのに、
中学の時には高校を。
なんとか決めて進んだ高校も
3年後には
就職先を
決めなくてはいけなかった。
3.11.の時
自宅で転倒した本棚から飛び出た
中学校の文集で
『将来なりたいものは?』
の問いに
【自分の好きな事を好きなだけやっていたい】
みたいな事が書いてあった。
笑った。
上手い逃げじゃ。
これ、
今の私を見てる人たちからすると
「昔からそういう事考えていたんだね」と
感心を頂くところだろうが
実は違うのだ。
『逃げ』だ。
「好きな事」は変わっても
『好きな事』をやっていれば
この答えは
決して「嘘」にはならない…
子供の頃から
予防線を張るのが得意だった。
そのくせ
その予防線も
「自分のため」というよりは
【『将来』この文集が出てきた時の自分の為に
当たり障りのないところを選んでいる】のだ。
可愛くない。
そのくせ
自分の気持ちを伝えるほどの
行動が取れてない事自体が
そもそもの
問題なのだが
その時点では
そんな事解る由もない。
子供は…いえ大人も含めた
「人間は」だと思うのだが
人は
それまでに『生きている期間』の間で
知り得た
知識や経験の範囲の中で生きるので
私の
中学時点と
高校時点では違いがあるし
その
高校時点と
現在の私とでも
そこに大きく違いがある。
特に私の場合は
この仕事に付いてから
学んだ事が多いため
27歳で独立開業してからの
知識と経験は
学校の頃
学んだ事の比ではない。
もちろんこれは
学校の勉強がどうこう言う事ではなく
私が当時
「勉強に興味を持たなかった」
事に一番の理由あり
当時
勉強をしてなかったからこそ
27歳から
猛烈に勉強が必要になった
とも
言えるのかもしれない。
そして
この頃
学校在学中に勉強しなくても
一生の間で
勉強する時期は有るんだと
しみじみ思いながら
勉強に励んだのだ。
ところが
あんなに
「勉強に興味を持たなかった」私が
勉強はとても楽しかった。
乾ききったスポンジが
どんどん水を吸うように
脳ミソが喜んでいるのが解った。
そして
もしかして
人間が勉強する「時期」って
人それぞれなのでは?
などとも思っていた。












